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ガキ使作家語る 放送作家とは

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190615-00000008-it_nlab-ent

 「放送作家」はなぜテレビに必要なのか――。テレビとWeb番組の違いは――。日本テレビ系「ダウンタウンガキの使いやあらへんで!」やテレビ朝日系「激レアさんを連れてきた。」、テレビ東京系「青春高校3年C組」などで活躍し、6月15日には作家の得意分野や経歴を紹介するサイト「日本放送作家名鑑」をオープンさせた深田憲作さんを取材しました。

【画像:松本人志さんが考案した超難問】

松本人志さん考案のオーディションを経て放送作家デビュー 

めちゃ×2イケてるッ!」(フジテレビ系)、 「シルシルミシル」(テレビ朝日系)、「得する人損する人」(日本テレビ系)など誰もが知るテレビ番組から、過激な企画でネット上の話題を集めるAmazonプライム・ビデオ番組「今田×東野のカリギュラ」まで、幅広く活躍する深田憲作さんは、キャリア11年目の35歳。大阪体育大学を卒業後、ラジオ番組でのオーディションに合格して放送作家デビューを果たしたという異色の経歴の持ち主です。

 今回は深田さんが放送作家を志したきっかけから、気になる放送作家のギャラ事情。深田さんが立ち上げた「日本放送作家名鑑」とは一体どんなサイトなのかなどを伺いました。

――まず放送作家とは、どんなお仕事でなぜ必要なのでしょうか。

深田:一般の方からすると謎の職業ですよね、放送作家って(笑)。テレビ業界以外の方からよく聞かれるので、「企画を考える人」「(番組の)構成を考える人」「台本を書く人」「ドラマでいう脚本家にあたる仕事が放送作家で、監督にあたるのがディレクター(総合演出)」と、いろいろな説明をしますが、すごく説明が難しくて、うまく答えられたことないんですよね……(笑)。業界内では「テレビが始まったころに、青島幸男さんなどが生み出したのではないか」という説や、「本当はいらないんだけれども、テレビ業界にお金があった時代に“アイデアを生み出すスペシャリスト”として放送作家という職業が生まれた」という説を先輩の放送作家から聞いたこともあります。

――本当はいらない、というのはどういうことなんでしょう。

深田:放送作家って業界内でも「なくてもいい職業」と揶揄(やゆ)されることがよくあります。というのも「台本を書く」「企画を考える」というのは、基本的にディレクターの仕事の範ちゅうにも含まれていますから。でも一応、今のところなくなってはいないので、必要とされている職業なのかなとは思ってます。

――深田さんは、ダウンタウン松本人志さんと、松本さんの幼馴染で放送作家高須光聖さんがトークするラジオ番組「放送室」(TOKYO FM)をきっかけに放送作家デビューされたんですよね。

深田:そうです。番組内で高須さんの弟子というか、「ブレーンを募集する」という企画があって、それに応募したことがきっかけです。印象深かったのはオーディション1発目に出された、「赤丸・黒丸を羅列せよ」という問題でした。高須さんが番組内で「応募してくるやつが面白いかどうかを判定する方法ってあります?」と聞いたら、松本さんが「俺はある」とこの問題を提案して。それが実際に審査のお題になったんですよ。

――それってどういう答えが正解だったんですか。

深田:「赤赤黒黒」みたいに並べ方に意味があると思って応募してきた人が多かったらしいのですが、後にこの問題の意図は「与えられたルールの中でいかに裏切るか?どれだけ目立つか?」ということで、松本さんは「俺だったら赤丸を、1個を書くかな」「ただ、ここで星を書いてきたりするのはルール違反」というようなことをおっしゃっていました。つまり、エンタメの世界は“与えられたルールの中でいかに目立つか”なので、松本さんや高須さんはこの問題を見ればその人間のセンスが分かる、と言っていたということなんです。

 僕はなんとなく松本さん、高須さんの意図を理解して、紙の角に赤丸を書いて、はみ出た部分は対角の角から出ているというような工夫をしたと思います。

――松本さんっぽい、というと失礼かもしれませんが、天才が考える問題だなという感じがしますね。このオーディションに受かったのは深田さんをはじめ何人ぐらいだったのでしょうか。

深田:確か、高須さんから「700人ぐらいが応募してきた」と聞いた記憶がありますが、合格者は僕を含めて3人でした。2次試験では50人ぐらいが面接にやってきて、そこから10数人に絞られて、そのあと3~4回ぐらい「企画を出してくれ」「直してくれ」というやりとりがありました。オーディションが始まったのが5月ぐらいだったのですが、9月ぐらいに高須さんから「事務所に来てくれ」と呼ばれて行ったらほかの2人が居て。いきなり「君たち来月から制作会社でAD(アシスタントディレクター)やってきて」と言われたんですが、これが合格だったというわけです。だから僕、半年ぐらいはAD経験があります(笑)。

――意外ですね。AD時代はどんな番組を担当されたんですか。

深田:ジーヤマという制作会社に預けられて、くりぃむしちゅー有田哲平さんがやられていたTBS系の「むちゃぶり!」という番組を担当しました。

――修行の半年が終わったら、高須さんから「帰ってきていいよ」という連絡が入るという感じだったのでしょうか。

深田:いえいえ。期間は告げられておらず、毎日すごく大変だったので内心は「これいつまでやるんだ??」とヒヤヒヤでした(笑)。ADをはじめて3~4カ月たった頃に、「『くりぃむナントカ』(テレビ朝日系)がゴールデンに行くから、高須さんのところにいる若手作家を入れてあげても良いよ」という話をテレビ朝日の藤井智久さん(「マツコ&有吉の怒り新党」で総裁として知られている)からいただきまして。僕ら3人はADをやりながら、番組の構成会議には出ずに企画案を週に1回出すことになりました。その結果「深田君は入れてあげてもいいですよ」ということになったらしく、高須さんから「番組に入れることになったから、AD卒業してえぇで」と言われたのが修行から半年後のことです。あとの2人は結局AD修行を1年ぐらいやってから放送作家になりましたね。

――高須さんから学ばれたことはどんなことでしたか。

深田:高須さんは僕らに手取り足取り教えるというよりは、テレビの世界に放り投げてくださった感じで「最初のきっかけは与えてあげるけど、後は自分で頑張って仕事広げていけよ」って。どちらかというと放任タイプでしたね。だから高須さんと一緒に番組をやらせてもらったというのはほとんどなくて、かばん持ちみたいなこともなかったので、他の放送作家さんのお弟子さんと比べたら全然大変な思いもしませんでした。

 僕は中学の頃に松本さんの『遺書』を読んで、なんなら人格形成にまですごく影響を受けた部分があるので、松本さんのブレーンである高須さんも「結局、面白いこと考えられるかどうかは才能だ」みたいなことをおっしゃるのかなと思っていたのですが、アドバイスしていただいたのは「人が嫌がる仕事を率先してやって、みんなから愛されるようになれ」「礼儀を大事にしなさい」と人としてのすごく基本的な部分で、企画案やネタについても「本当に頑張って考えたら良いものが浮かぶ」「20代で真剣にずーっと考えまくっていたら30代で一気に開花するときが来るから、とにかく考えて考えて考えろ」という言葉をいただいていました。僕としては「意外と泥臭いことをおっしゃるんだな」と感じたのを覚えています(笑)。

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